こんにちは。
kotonohaの武田みはるです。

先月、発表された村上春樹氏の最新作
『街とその不確かな壁』を
読了しました。
655頁の長編です。
ま、村上春樹氏の作品といえば、
『1Q84』や『ねじまき鳥クロニクル』など
3冊から6冊に及ぶ大長編が多いので、
一冊に収まる最新作は
村上春樹氏にとっては
中長編くらいになるのでしょうか?
それでも私の本棚では、
他の書物に比べて圧倒的にブ厚いです(笑)

マイ本棚
マイ本棚の一隅

今回の最新作、
今までの村上春樹作品との違いを
いろいろと感じながらの読了でした。
ジェットコースターのような緩急はなく、
静かに穏やかに
霧の中を進むようにストーリーが展開していく。
自分ではどうしようもない
こころの喪失は健在。

街とその不確かな壁

最もあれ?と思ったのは、
第三章で
主人公の僕が
はっきりと彼女に別れを告げるシーン。
今までの作品なら
はっきりと言葉にすることはなかったように思います。

コロナ禍の先の見えない生活下で、
前に進むには
はっきりと言葉にすることが
必要なんじゃないか
と私は感じました。
そして、ラストシーンは、
読者に委ねて終わる。

私はこのフランス映画のような
ラストシーンが好きです。

ふと、中学時代の同級生を思い出しました。
彼女は学年トップの文武両道の才女でした。
英語も数学も体育、家庭科ぜーんぶ
全く太刀打ちできない才媛でしたが、
唯一、
彼女にダメ出しできたのが国語でした。

ある日、彼女が国語の先生に向かって
「先生は答えを教えてくれないので
 理解しにくいです!」
と明言したのです。
聞いた途端に
『答えがないから国語やんか!』
と心の中でツッコんでました。

小説でも映画でも楽曲でも
これを伝えたいんだとは書いていない。
それは
読者が感じ取るものだから。
もし、村上春樹氏が
「僕の作品は、人間の喪失と再生を描いているんだ」
と言ったら(そうだとは思うが)
一気に白けて、ケッっと一蹴することだろう。

答えのないものを読み取るのが文学で、
それを言葉にするのが
国語力ではないのか?


大学でも文学部はいらないと言う人がいるけれど、
社会人になって
クライアントの意向や
企画書の真意を読み取る
読解力思考力
文学を読み深めることから養われるのだと思います。
人間としての奥行きと深みは
そこから生まれるのではないでしょうか。
(と、のたまう私は、文学部出身ではありませんが…

未来に希望を残すラストも
今の世相かな?と感じ入りました。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。



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