27年後の景色
2020年3月30日
こんにちは。
パーソナルカラースタイリストの武田みはるです。
実家を改装し、移り住んでひと月が経ちました。
27歳まで住んでいた家で、
たまに実家へ帰った際に近所を歩くことはあっても
ゆっくりと散策したことはありませんでした。
奇しくも同じ27年の時を経て実家に住むと、
駅からの道中の移り変わりや
二階の窓から見える景色の変化を
郷愁と共に感じ入ります。

引用元:壁紙館うちの近所の写真ではありません(笑)
年明けに出版された文芸誌月刊「ふみふみ」のテーマが「はじまる」でした。
このテーマを見た時、27年間変わらない景色と
27年の移り変わりを書いてみようと思いました。
『27年後の景色』 武田 みはる
カレンダーを一枚めくると、6回目の引っ越しが控えている。
最初の引っ越しは結婚して新居への引っ越しだった。スーパーどころかコンビニもない淋しい無人駅のそばに建つハイツであったが、カーテンやカーペットを選び、自分好みの部屋を作る喜びで胸が溢れていた。
各駅停車しか停まらない無人駅は、通過する列車の数のほうが多い。カンカンカンと下りる遮断器の乾いた音を聞きながら、実家からの荷物を運び入れ、荷ほどきをする作業に自然と顔がほころんだ。
あれから27年。実家で過ごした年月と同じ年月を経て、今春実家へ戻ることとなった。
空家となって2年が経つ実家は、どこかしこも朽ちてきている。家は住む人がいないとこんなにも寂れていくのかと実感し、それならば私が住もうと昨年の夏に改装と転居を決意したのだ。
最寄り駅から実家まで歩いて15分ほどかかる。結婚するまで毎日通った駅からの道のりをゆっくりと歩いていく。
小学生のころ、通学路から一本裏道を入った鬱蒼としたところに不思議な丸い洋館があった。どんな人が住んでいるのか、どんな生活をしている人たちなのか、クラスの女子の間で話題となった。文化住宅や瓦屋根の家が並ぶ中でそれは場違いな洋館だったが、ひっそりとたたずむ姿が少女のメルヘン心に火を灯した。下校時に寄り道し、レンガの壁に耳を当てると、わずかに食器の音がした。「秘密の花園」や「小公子」に出てくる小花柄のワンピースに真っ白なフリルのエプロンをつけたメイドがいるんじゃないかと想像を膨らませて家路についたものだ。今ではあの鬱蒼とした裏道も洋館もなくなり、鉄筋の店舗付き住居が立ち並んでいた。
実家に着くと二階に上がり、重い雨戸を開ける。東向きの窓からは生駒山が薄くたたずんで見える。車が二台すれ違うのが難しい道を挟んで、殺風景な田んぼが27年前と変わらず広がっている。
線路まで高い建物がないこともあり、電車の通過する音が聞こえてくる。今では高架になってしまったため、遮断器の音は聞こえないが、緩やかにカーブしながら通過する電車の走行音が一気に学生時代へと誘う。
高校受験も大学受験もこの窓際で勉強していた。夜になると、田んぼに面した窓には屋根からヤモリがのっそりと姿を現す。爬虫類がなにより大嫌いなわたしは悲鳴を上げて退治してくれと叫んだが、「ヤモリは家を守ってくれるから殺したらあかん」という父の言葉でヤモリの生態を観察するようになった。肌寒くなるころにはピタッと窓にやってこなくなり、翌年温かくなるとまた姿を現す。去年のヤモリの子供かと横目で見ながら受験勉強をしていた。翌々年もヤモリは現れ、孫の登場だと思った。何十代目かのヤモリを見た年の冬に私は実家を離れた。
春になると田植えが始まり、みずみずしい緑一色になる。蛙が競うようにのどを鳴らす。
秋には、稲穂が揺れる黄金色の世界が目の前に広がる。
冬になると肥料とおぼしき黒いものが田んぼに撒かれ、白い雪と混ざって雪舟の水墨画のようになるのだ。
またこの景色を味わいながら過ごすことになる。
今年の夏にはヤモリの子孫に出会えるだろうか。
そんなことを考えながら雨戸を閉めようとすると、電車が緩やかにカーブしながら走っていくのが目に映った。遠くに生駒山が霞んで見えている。
文中に出てくる丸い窓の洋館は、なんど探しても見つかりません。
まるで勝手に創り出した思い出のようですが、たしかに丸い窓と鬱蒼とした小道はあったのです。
今年の夏はヤモリが顔を出すか、今から楽しみです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
色で叶える「魅せる男」kotonoha
和歌山MIO カラー診断イベント開催
4月4日(土)・5日(日)午前10時から午後6時(最終受付)
JR和歌山駅直結 和歌山MIO北館 ミオ広場
各日先着50名様(先着順)
おひとりさま約15分 2000円(税込)
和歌山MIOのホームページにも掲載
パーソナルカラースタイリストの武田みはるです。
実家を改装し、移り住んでひと月が経ちました。
27歳まで住んでいた家で、
たまに実家へ帰った際に近所を歩くことはあっても
ゆっくりと散策したことはありませんでした。
奇しくも同じ27年の時を経て実家に住むと、
駅からの道中の移り変わりや
二階の窓から見える景色の変化を
郷愁と共に感じ入ります。

引用元:壁紙館うちの近所の写真ではありません(笑)
年明けに出版された文芸誌月刊「ふみふみ」のテーマが「はじまる」でした。
このテーマを見た時、27年間変わらない景色と
27年の移り変わりを書いてみようと思いました。
『27年後の景色』 武田 みはる
カレンダーを一枚めくると、6回目の引っ越しが控えている。
最初の引っ越しは結婚して新居への引っ越しだった。スーパーどころかコンビニもない淋しい無人駅のそばに建つハイツであったが、カーテンやカーペットを選び、自分好みの部屋を作る喜びで胸が溢れていた。
各駅停車しか停まらない無人駅は、通過する列車の数のほうが多い。カンカンカンと下りる遮断器の乾いた音を聞きながら、実家からの荷物を運び入れ、荷ほどきをする作業に自然と顔がほころんだ。
あれから27年。実家で過ごした年月と同じ年月を経て、今春実家へ戻ることとなった。
空家となって2年が経つ実家は、どこかしこも朽ちてきている。家は住む人がいないとこんなにも寂れていくのかと実感し、それならば私が住もうと昨年の夏に改装と転居を決意したのだ。
最寄り駅から実家まで歩いて15分ほどかかる。結婚するまで毎日通った駅からの道のりをゆっくりと歩いていく。
小学生のころ、通学路から一本裏道を入った鬱蒼としたところに不思議な丸い洋館があった。どんな人が住んでいるのか、どんな生活をしている人たちなのか、クラスの女子の間で話題となった。文化住宅や瓦屋根の家が並ぶ中でそれは場違いな洋館だったが、ひっそりとたたずむ姿が少女のメルヘン心に火を灯した。下校時に寄り道し、レンガの壁に耳を当てると、わずかに食器の音がした。「秘密の花園」や「小公子」に出てくる小花柄のワンピースに真っ白なフリルのエプロンをつけたメイドがいるんじゃないかと想像を膨らませて家路についたものだ。今ではあの鬱蒼とした裏道も洋館もなくなり、鉄筋の店舗付き住居が立ち並んでいた。
実家に着くと二階に上がり、重い雨戸を開ける。東向きの窓からは生駒山が薄くたたずんで見える。車が二台すれ違うのが難しい道を挟んで、殺風景な田んぼが27年前と変わらず広がっている。
線路まで高い建物がないこともあり、電車の通過する音が聞こえてくる。今では高架になってしまったため、遮断器の音は聞こえないが、緩やかにカーブしながら通過する電車の走行音が一気に学生時代へと誘う。
高校受験も大学受験もこの窓際で勉強していた。夜になると、田んぼに面した窓には屋根からヤモリがのっそりと姿を現す。爬虫類がなにより大嫌いなわたしは悲鳴を上げて退治してくれと叫んだが、「ヤモリは家を守ってくれるから殺したらあかん」という父の言葉でヤモリの生態を観察するようになった。肌寒くなるころにはピタッと窓にやってこなくなり、翌年温かくなるとまた姿を現す。去年のヤモリの子供かと横目で見ながら受験勉強をしていた。翌々年もヤモリは現れ、孫の登場だと思った。何十代目かのヤモリを見た年の冬に私は実家を離れた。
春になると田植えが始まり、みずみずしい緑一色になる。蛙が競うようにのどを鳴らす。
秋には、稲穂が揺れる黄金色の世界が目の前に広がる。
冬になると肥料とおぼしき黒いものが田んぼに撒かれ、白い雪と混ざって雪舟の水墨画のようになるのだ。
またこの景色を味わいながら過ごすことになる。
今年の夏にはヤモリの子孫に出会えるだろうか。
そんなことを考えながら雨戸を閉めようとすると、電車が緩やかにカーブしながら走っていくのが目に映った。遠くに生駒山が霞んで見えている。
文中に出てくる丸い窓の洋館は、なんど探しても見つかりません。
まるで勝手に創り出した思い出のようですが、たしかに丸い窓と鬱蒼とした小道はあったのです。
今年の夏はヤモリが顔を出すか、今から楽しみです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
色で叶える「魅せる男」kotonoha


4月4日(土)・5日(日)午前10時から午後6時(最終受付)
JR和歌山駅直結 和歌山MIO北館 ミオ広場
各日先着50名様(先着順)
おひとりさま約15分 2000円(税込)
和歌山MIOのホームページにも掲載