田辺聖子さんを偲んで
2019年6月13日
こんにちは。
文章スタイリストの武田みはるです。
一昨日の訃報に驚きました。
田辺聖子氏が91歳で亡くなられたとのこと。
田辺聖子氏は娘が通っていた高校の出身で、高校に銅像まであり
馴染み深い作家でした。
まだご生存中なのに銅像があるんや!?と当時はびっくりしたものです。
母校から芥川賞作家・文化勲章受章者を輩出したのですから、当然かもしれません。
私が田辺聖子さんを知ったきっかけは「源氏物語」。
小学生のころから源氏物語を読んでましたが、
数ある訳本の中で読みやすく、わかりやすかったのが
瀬戸内寂聴さんと田辺聖子さんの源氏物語です。(あくまで私見)
田辺聖子さんの源氏は、
本編だけでなく、スピンオフ本もめちゃくちゃ面白くて
田辺節がさく裂しています
集英社文庫
岩波現代文庫
光源氏を「さかりのついたオジン」と呼ぶ
玉鬘は、そのオジンに言い寄られて、
うっとおしいわ~と思う田舎育ちのやんちゃ娘。
光源氏を唯一フッた朝顔の姫君に至っては、
紫式部は結婚願望のない気高い姫と描いてるけど
田辺聖子さんにかかると「イカズ後家屋敷」に住むゼゼコ勘定に長けた仕事屋になる(笑)
このあたりの独特の審美眼がすごい!!
男性への憧憬も深くて
光源氏の腹違いの兄「朱雀帝」を
生涯負け組の朱雀さんと愛嬌たっぷりに語る。
(源氏物語の男たち上下)
登場人物それぞれへの奥深い考察を
個性いっぱいの筆致で書き綴った文章は
大阪弁満載で関西人には読みやすく親しみやすい。
私が常々「暗いわー」と豪語していた「宇治十帖」も
田辺氏の筆にかかるとこうなる。↓
(以下原文抜粋)
宇治十帖の主人公たちはもはや、醒めた現実のものとなっている。
かの光源氏が物語の主人公として現実離れした渇仰・讃美をささげられていたのと違い、
「宇治十帖」の男たちは読者と等身大の、
失意と悲哀に隈取られた、「フツーの人間」である。
そして後編全体に、やるせない鬱屈の気分が、
薄墨色の霞のごとく漂うている。
物語のトーンは暗く、ひややかに触れる手触りは、鮫肌に似てとげとげしい。
永遠に執着を晴らせなかった人々の、声のないすすり泣きが、
物語の低音部にとぎれなくひびく。
これ、薫の巻のプロローグの文章なんです。
宇治十帖の薫がどんな人間か知らなくても、
この序文でどこか影を帯びている人物だとわかるでしょう。
色で表すと、純色のヴィヴィットな赤や黄色ではなく、
黒と灰が混じった暗清色の紫ですね。
田辺聖子氏は大阪の写真館の娘に生まれ、
クラシックから落語、文楽や小説に至るまで
雑多な文化環境の中で育ってこられた。
そこで培われた多様性が
俯瞰した視点での筆致につながっているのでしょう。
田辺源氏ももちろんいいのですが、
なんといってもこのスピンオフ本がおススメです
大阪弁丸出しの愉快な古典パロディ
古典文学なんてとっつきにくいわ~と思っている方にこそ
ぜひ手に取って読んでいただきたいです。
田辺聖子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
モテる男への最短最速のトータルサポート kotonoha
文章スタイリストの武田みはるです。
一昨日の訃報に驚きました。
田辺聖子氏が91歳で亡くなられたとのこと。
田辺聖子氏は娘が通っていた高校の出身で、高校に銅像まであり
馴染み深い作家でした。
まだご生存中なのに銅像があるんや!?と当時はびっくりしたものです。
母校から芥川賞作家・文化勲章受章者を輩出したのですから、当然かもしれません。
私が田辺聖子さんを知ったきっかけは「源氏物語」。
小学生のころから源氏物語を読んでましたが、
数ある訳本の中で読みやすく、わかりやすかったのが
瀬戸内寂聴さんと田辺聖子さんの源氏物語です。(あくまで私見)
田辺聖子さんの源氏は、
本編だけでなく、スピンオフ本もめちゃくちゃ面白くて
田辺節がさく裂しています
集英社文庫
岩波現代文庫
光源氏を「さかりのついたオジン」と呼ぶ
玉鬘は、そのオジンに言い寄られて、
うっとおしいわ~と思う田舎育ちのやんちゃ娘。
光源氏を唯一フッた朝顔の姫君に至っては、
紫式部は結婚願望のない気高い姫と描いてるけど
田辺聖子さんにかかると「イカズ後家屋敷」に住むゼゼコ勘定に長けた仕事屋になる(笑)
このあたりの独特の審美眼がすごい!!
男性への憧憬も深くて
光源氏の腹違いの兄「朱雀帝」を
生涯負け組の朱雀さんと愛嬌たっぷりに語る。
(源氏物語の男たち上下)
登場人物それぞれへの奥深い考察を
個性いっぱいの筆致で書き綴った文章は
大阪弁満載で関西人には読みやすく親しみやすい。
私が常々「暗いわー」と豪語していた「宇治十帖」も
田辺氏の筆にかかるとこうなる。↓
(以下原文抜粋)
宇治十帖の主人公たちはもはや、醒めた現実のものとなっている。
かの光源氏が物語の主人公として現実離れした渇仰・讃美をささげられていたのと違い、
「宇治十帖」の男たちは読者と等身大の、
失意と悲哀に隈取られた、「フツーの人間」である。
そして後編全体に、やるせない鬱屈の気分が、
薄墨色の霞のごとく漂うている。
物語のトーンは暗く、ひややかに触れる手触りは、鮫肌に似てとげとげしい。
永遠に執着を晴らせなかった人々の、声のないすすり泣きが、
物語の低音部にとぎれなくひびく。
これ、薫の巻のプロローグの文章なんです。
宇治十帖の薫がどんな人間か知らなくても、
この序文でどこか影を帯びている人物だとわかるでしょう。
色で表すと、純色のヴィヴィットな赤や黄色ではなく、
黒と灰が混じった暗清色の紫ですね。
田辺聖子氏は大阪の写真館の娘に生まれ、
クラシックから落語、文楽や小説に至るまで
雑多な文化環境の中で育ってこられた。
そこで培われた多様性が
俯瞰した視点での筆致につながっているのでしょう。
田辺源氏ももちろんいいのですが、
なんといってもこのスピンオフ本がおススメです
大阪弁丸出しの愉快な古典パロディ
古典文学なんてとっつきにくいわ~と思っている方にこそ
ぜひ手に取って読んでいただきたいです。
田辺聖子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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